父 松平晃 Matsudaira Akira
1911-1961
東京音楽学校(現芸大)中退し、流行歌手としてスターダムへ。古川ロッパ演出の映画出演など流行歌手・俳優として活躍。49歳の若さでの早世を多くの同僚・ファンが惜しみ、悲しんだ。
交流のあった同僚歌手
藤山一郎(歌手) | 松平は藤山の推薦によりレコード界へデビュー。生涯、良きライバル・友だった。松平死後も松平の娘である福田和禾子を専属ピアニストに指名し、交流を続けた。 |
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淡路のり子(歌手) | 戦前から公演を一緒に廻るなど親交が深かった。ヒット曲「別れのブルース」のB面は松平晃の「泪のタンゴ」バージョンも。 |
森光子(女優) | 戦中慰問団の一員として一緒に戦地を廻る。発禁処分で幻となったデビューレコードは松平晃が企画したものだった。 |
古賀政男(作曲家) | 古賀作曲の『サーカスの唄』は松平晃のヒット曲 |
東海林太郎(歌手) | 戦中慰問団の一員として一緒に戦地を廻る。松平晃没後、遺族宛に暖かい書簡を送る |
渡辺はま子(歌手) | 渡辺の代表曲『何日君再来』は松平晃が中国で採譜してきたもの。松平歌唱の音源もある |
代表作
- 流行歌「忘れられぬ花」
- 流行歌「サーカスの唄」
- 流行歌「急げ幌馬車」
- 戦時歌謡「露営の歌」
- 中国より採譜「何日君再来」
- 日活映画「花嫁日記」
- 日興キネマ「初恋日記」(主題歌:花言葉の唄)
- 松竹映画「純情二重奏」
その他
- 古賀政男、江口夜詩、藤山一郎、李香蘭などと親交
- 戦中は慰問団として満州・南方など各地を巡る
- 戦後、ブラジル(一年半)・ハワイ等で文化交流・公演を行い日系移民の方々に喜ばれる
- 歌謡学院を設立し後進の指導にあたる最中、昭和歌謡ブーム前に病に倒れる
- 手品・車・カメラなど様々な趣味を持ち戦前の貴重な資料を残す
- 一人娘は作曲家の「福田和禾子」